20231030 SSPW新宿FACE大会

いま帰宅。いい大会だった。いくつか、感動したことがある。

 

第2試合にダンプ松本選手登場。明らかに格下の3選手とタッグマッチ。よく出場OKしたなと試合リスト見て思っていたのだが、登場する姿を見て考えが変わった。おそらく身長160cmちょっとで体重は100kg超だろう。ものすごい肥満体は大活躍していた最盛期以上に膨らんだ感じなのだが、まあ歩けない。特に左足が悪いようで、手に持った竹刀を杖代わりに使って、やっとのことでリングインする有様。これで試合ができるのかと心配したが、そこは流石で、エプロンサイドに出ることもできず、相方が戦っている最中はコーナーポストの「内側」でロープ最下段に座って待っている状態なのだが、要所要所で良いムーブを見せるのだ。観客も優しくて、ダンプの状態を知って、もうバンバン動かなくてもいい、戦っている姿を見るだけで満足、という空気。最後は見事に体重を生かしてフォール勝ち。万雷の拍手が起きた。いいものを見た。

 

次の試合は六人タッグマッチ。井上京子を初めて見た。かわいい。デブなんだけれども、笑顔がなんとも素晴らしい。動きはそんなによくないが、ビッグネームなのに必死でお客さんに満足してもらうための攻防を繰り広げる。これも、いいものを見た。

 

幕間に小林邦昭山崎一夫トークショー。司会は流智美。山崎がすらすら喋れるインテリなことを知った。面白かったのは、佐山さんは何を頼むのにも1万円札を渡してくれて、お釣りは受け取らない。逆に坂口さんはタクシー代1970円を支払うために橋本真也に2千円渡して、橋本がお釣り30円をポケットに入れたら控室で橋本、お釣りが30円あっただろう、と迫ったとか。面白いなあ。小林邦昭はしゃべれないからミスキャストかもしれないが、人柄の朴訥さは伝わってきた。新日本プロレスは良かったなあ。その後、佐山さん登場。花道まで車椅子だったのが、途中から歩いてリングイン。スピーチもした。聞けばこの2ヶ月、歩くことはなかったそうだ。それが、リングを目にすれば歩いてしまう。プロだなあ。帰るときはおついの人たちがエプロンサイドまで車椅子を持ってきたが、構わず歩いて戻って行きました。それだけで、感動した。プロレスラーって、こういうイベントに登場する際でもジーンズとか、ラフなスタイルが多いんだけど、佐山さんはあれだけ体の状態が良くなさそうなのに、いつもスーツにネクタイだ。

 

ダブルメインイベント第1試合に藤波さん登場。70歳にして黒パンツ一丁でリングに登り、それなりの動きで観衆を引き込み、最後に買って見せて大拍手をもらうなんて、やっぱり大した人である。しかし細かい動きを見ていくと、どうも左足が悪いらしい。それでも長時間戦ってみせるところは、流石である。佐山さんの歩く姿の次ぐらいに感動した。ダンプ、佐山さん、藤浪さん。素晴らしすぎる。

 

最後の試合はタイガー・クイーンとウナギ・サヤカがタッグを組んで戦うタッグマッチ。ウナギは、この日の第4試合にダーク・ウナギとして出場しているから1日2試合。かなり疲れているだろうと思いきや、全力投球で魅せる魅せる。何を目指しているのかは知らないが、この、得られた機会に観客を存分に楽しませようと全力を尽くす姿勢には好感以外ない。物おじしない姿勢にも魅せられる。これからの女子プロレスを引っ張っていく存在になりそうな予感。それとは対照的に、非常に冴えなかったのがタイガー・クイーン。ウナギが人気上昇中なのを妬んでいるのか、性格が合わないのか、とにかくやる気を見せない。嫌な仕事には全力投球できないタイプであることがよくわかった。そもそも履いている網タイツが穴だらけだ。フロントサイドもよくわかっていて、あえてウナギとタッグを組ませた感じもある。今まで、特別待遇でやってきたので、本人に甘さがあるのかもしれない。自分はリングサイドの席だったので、試合終了後、ウナギがクイーンのセコンドとしてその場にいた日高郁人に対して「お前の教育が間違ってるんだよ!」と発言したのを目の当たりにした。それは、それほど大きな声ではなく、観客に聞かせるために発言したものではなかったと感じた。ウナギは、クイーンの育てられ方に疑問を持っている。

 

そういえば、佐山さんも自ら望んでタイガーマスクになったわけではなかったんだよな。1日だけでいいから、と言われて渋々チャチなマスクをつけて試合したら大好評でやめられなくなってしまったと。会社の経営を支えるためなのか、その後1年以上も嫌いな飛んだり跳ねたりを続けることになった。でも自分の知る限り、手抜きの試合は一つもない。立派なものである。

 

こういうイベントを見ると、我々が何にお金を払うのかがよくわかる。それは、やっぱり、全力で取り組む姿勢に対してなのだ。それを見たい。だからダンプ、京子、佐山さん、藤浪さん、そしてウナギ。1万円以上のチケットを買ったが、この五人を見られただけで、完全に元を取った満足感がある。

 

タイガー・クイーンは素質は素晴らしいがスピリットの面で問題が露呈した。このままだと、運動神経だけは一番だったと言われるジョージ高野ザ・コブラ)の二の舞になるかもしれない。

 

お客さんの心を掴み、お金を払ってもらえる存在になるためには、やはりどんな状況でも最善を尽くして、その姿を曝け出すことが重要なんだろう。

 

そんなことを書いてきて、自分にも反省がある。前の勤め先で状況が変わり、こんな会社のためには必死で働くことはできないと思って転身した。しかし、佐山さんだったら、ウナギだったら、そこで頑張るのかもしれない。まあ、結果は随分後になってからでないと、わからないものですけど。

20230613 将来の被害を抑えるために

ワクチンを打ってしまった人たちはご愁傷様でした。今でも5回、6回と打ち続けている熱心な人たち吐いて、こう言うタイプはもうつける薬がない(いや、ワクチンがあると言うツッコミは無しにしてほしい)けれども、1回、2回で「しまった!」と気づいた人は運が悪いというか、どうすれば自分は打たずに済んだのだろうかという反省意の余地があると思う。

 

要するに、詐欺に引っかかったわけだ。

 

世の中には詐欺が溢れている。

 

小学生同士でも、おもちゃを貸してくれと言って、結局返さないジャイアンみたいなやつはいる。学生になると神様を信じますか、とか言って近づいてくる同級生がいたりする。勧誘である。年頃になると結婚詐欺も出てくる。少し小金が貯まってくると借金の連帯保証人になってくれと甥っ子が言ってきたりする。儲かりますよと言って、学校の後輩だとかいう証券会社の営業マンがくる。大金持ちになったっって危ない。矢沢永吉加山雄三が、マネジャーとか取り巻きが散財して行方をくらまして、大借金だけ残ったみたいな話は有名である。人の人生に詐欺はつきものだ。

 

今回は、政府がそれをやったところが分かりにくかった。見抜きにくかった。でも本質は同じである。いい話ありますよと言われたら、簡単に信じてはいけないと言うことだ。

 

今までのワクチンは開発に10年かかりました。それを半年で実現、科学の勝利です。それってテレビ通販の売り込みみたいなノリじゃない?でも誰も疑わなかったんだよな。それどころか、コロナで死ぬ人がいかに少なくても、ワクチンで死ぬ人がどんどん出ても、打つ人は打ち続けた。今でも打ち続けている。政府がいうから。テレビがいうから。詐欺に騙され続けている。

 

どうすれば、繰り返さないようにできるか。日本人は80年前にも政府や大新聞い騙されたと言っていた。皇国日本は敗ける筈がないと信じ込まされていたと。詐欺になったのだ。喉元過ぎれば熱さを忘れて、今再び国民は政府に騙されようとしている。だから経験は役に立たない。大体、80年も経ったら経験した人がほとんどいなくなってるしね。

 

イデアだが、人生ゲームみたいなのを作って流行らしたらいいんじゃないかな。世の中のありとあらゆる詐欺が出てくる。それをクリアしないと安全に生き抜けない。詐欺師は、甘い声で、いい話を持ってくる。中には本当の話も混ぜ込んでおく。で、詐欺の話には、ちょっとしたヒントを撒いておく。気づくか気づかないかでポイントに大きな差がつく。そんなメカニズムの人生ゲームを流行らせたら少しは教育になるんじゃないか。

20230429 人間の進化、教育の進化

孫正義氏には弟がいて孫泰蔵氏という。その方が書かれた「冒険の書」はよく売れているし、実際にとても良い本だ。鍵になる言葉はアンラーニング。自分も別ブログでしつこく書いてきたが勉強すればするほどバカになる。それが現代の特徴。だから勉強したことをかなぐり捨てるアンラーニングは必須。そのことを、綿密な読書に裏付けられる形で書いている。

 

なぜラーニングすればするほどバカになるのか。原因はわからないが、周りを見ていればわかる。学校に通いなさい、良い成績を取りなさい、受験して良い学校に進みなさい、そこでも勉強して良い会社に勤めなさい、あるいは医者になりなさい、弁護士になりなさい、財務省に入りなさい。そこで出世しなさい、社長になりなさい、教授や総長になりなさい。そんな価値観の中で必死に階段を上がっていく人たちを知っている。多少具体的に言えば、東大総長だった小宮山という人はコロナのワクチンを人類の科学技術の成果だとか褒めそやしている。東大のトップがこれである。勉強って、どう考えても弊害があるでしょ。現実を見る目を曇らせる。多分、自分は頭がいいからなんでもわかっているんだという先入観でものを見ているし、もう一つの先入観として科学技術の素晴らしさみたいなイメージがあるのだと思う。周りに、ワクチン危ないですよという人もいないし、本人も聞く耳なんか持っていないのだろう。ちなみに本日の朝刊には1歳児がコロナワクチン接種後休止という記事も出ている。まあ、因果関係は認められないということなんだけど、みんな、直観的に、わかってるじゃないですか。

 

要するに、勉強すればするほどバカになるのだ。政府があれだけ進めるんだから怪しいよ、戦時中みたいなもんだろうね、とワクチンを軽くスルーする名も無いお婆さんの方がよほど賢い。

 

大企業もこぞって職域接種を進めた。経営者なんて、出世してトップになったかもしれないが、みんなばかだ。バカじゃなければ、治験中だから危ないぞ、社員を守るために職域接種はやめておけ、と絶対に言うはずだ。いい大学を出ていい企業に入って、いい成績を残して出世してトップに立って、このザマである。

 

まあ本人たちのせいというよりも、こういう人材をどんどん上に上げていってしまう現代社会のシステムが悪いのだから、彼らはむしろ被害者かもしれない。与えられた枠組みの中で頑張って他人より成果を出してしまうバカ。そのバカが大きな組織を率いるという悲劇。あるいは喜劇か。

 

人間は、もっと利口にならなければいけない。人間は進化しないといけない。いつまでもこんなバカに大きな顔されていたら迷惑でしょ。バカなんだから自分がバカだとは認識しないだろうけれども、他人に影響を与えるような立場にいてもらっては困る、そういうことに多くの人がこれから気づいていくのではないだろうか。

 

こういうバカを育てないために、あるいは評価しないために、教育の変革は必要だろうなあ。ある枠組みを与えてその中で競わせる、というコンセプトが元気のいいバカを量産するのだ。迷惑千番である。ゲーテは言った。活力あるバカほど手に負えないものはない。枠組みを与えると、どうしてもこの手のバカが現れる。だから枠組みを示さない、自分で考えさせるような教育がこれから大事なんだろう。孫泰蔵さんの本を読んでそう思った。

 

私も、新しい教育の創造には関わりたい。それは、今のメリトクラシーを根本から否定するものになるだろう。賛同する人が多くいるかわからないし、現代社会を仕切る多くのバカからは邪魔される可能性もある。でもやりたいぞ。

20230406 無意識のブロックを取り除くには

ここも、備忘的に栗本慎一郎「縄文式頭脳革命」から。

 

(前略)それにしても、無意識とは頑固でしっかりとしていて、確実なものである。それをこれまたしっかり取り除いておかなければ、あなたが投手なら、かならず9回裏二死満塁のピンチに、思わず強打者の内角高めに棒だまを投げ込むのだ。他人が客観的にそれをみると、まるでわざとやっているように見えるものだ。

監督は「またやりやがって」と、頭にくる。

それでも、そういう時、管理者が「駄目だ、そうするな」と言うだけでは、絶対にその「癖」は直らない。

そう言う管理者は、管理者としては失格である。自分は、成功ばかりしていて滅多に失敗しなかった大選手が、なかなか優秀な監督になれないのは、こういうことに無理解だからということが多いものだ。

まずその無意識を取り除くよう、働きかけねばいけない。例えば、そのように行動しなくても大丈夫なだけの力があるのだと言うことをその選手に知らせる必要がある。そういうケースで、結果としてたまたまヒットを打たれても、実力いっぱいに投げ込んでいたということが見て取れたら、しっかり褒める必要もある。

これは、野球だろうと、会社だろうと、研究室だろうと、同じことである。

(中略)

もともと確実な可能性を有するあなたが、優秀になるのを妨げる大きな理由は、無意識のうちに組み込まれた精神的コンプレックスの存在があったからだった。

大体はその存在に自分では気づいていない。だから影響が大きいのだ。

(中略)

(ただし)こだわりや弱点?やそれに基づく自意識があったとて、誤魔化さずに正直に、思い切って脇目も振らずに前へ前へ進めば、弱点も弱点ではなくなる(後略)

 

そう。家庭でも教室でも同じなのだろうと思う。

 

人間には計り知れない力がある。それは無意識の中に眠っているようだ。無意識の力に蓋をしているのは、おそらく意識だろう。何かを間違えて恥を書いた、もう2度と恥を描きたくないとか、そういう「意識」が能力の発露を封じている。その無限の可能性を秘めた「無意識」も自分であるし、自らその可能性を封印している「意識」もまた自分なのだ。

 

日本人は100mで9秒台を出せない、と長く信じられてきた。プロ野球で年間ホームランは55本以上は打てない、と長く信じられてきた。しかし、誰か一人がその壁を破れば後に続く人はたくさん出てくる。これも意識によるブロックなのだろう。

 

意識の問題を取り扱うのは、人間の能力開発においても非常に重要なことだと思われる。

20230406 自分でありながら自分では統できない「意識」

繰り返すが意識は自分に付随するもの、あるいは自分そのものと言って良い。でありながら、自分お思い通りには動いてくれないのもまた意識である。その局面において、意識は自分でありながら別個の生き物であるかのように挙動する。

 

例えば最愛の相手と別れたとする。忘れよう、と「自分」は努めるが、「意識」の挙動は、逆に思いを募らせるばかりということがある。これまた栗本慎一郎の著作で印象に残っているのだが、彼の祖母は「バ」と「パ」、「ベ」と「ぺ」などを逆に発音する癖を持っていたという。アパートはアバート、バランスはパランス、ペットはベット、など不安のあまり完全に反対にしてしまう現象があるのだそうだ。野球選手でも、必ず9回浦西満塁のピンチで必ずと言っていいほど強打者の内角高めに棒球を投げ込むケースがある。それは、事態を恐怖するあまり、潜在意識がそうさせるのだという。ゴルフにもイップスという心理状態があって、例えばパットが打てなくなるのだそうだ。

 

以下は栗本慎一郎「縄文式頭脳革命」からの抜き書きである。

 

優秀な人は、問題という戦場の中でいきなり白兵戦を始めることはしない。いきなり切った張ったを始めて仕舞えば、事態はまず確実に、さらに悪くなる。

不思議なことだが、いきなり切った張ったを始めるような気短な人に限って、はっきり問題の本質がわかっている時にこそ、逆に文字文字として行動しない。そして、必ず正解の正反対を出すようなことが起きる。

なぜかといえば、いきなり切った張ったを始めるのは、実はしばしば、問題を怖がっているからなのだ。木が小さくて恐怖心が大きいから、事態を見つめるのも怖い。それで、とりあえず、最初に気づいたことをやってしまうのである。

ある意味で、早く負けてしまおうとばかり、負ける方の手段を無意識のうちに選択するのである。

無意識とは、頑固でしっかりしていて確実なものだ。

彼の祖母は外来語を使うたびに何度なくおどおどしていた。何か、カタカナの言葉に関して、過去に大きな精神的外傷を負うことがあったのかも知れない。とにかく外来語に対すると、彼女は多分、完全に自信がなくなって、それゆえどこかで聞いた正しい発音を無意識のうちに必ず逆に一繰り返したというわけだ。

そうなると、必ず完璧に逆というのもすごいなあ、と私は感心することになった。

こういう言ってみれば「わざと、負けに行く」ケースは、よくあることだ。

同じことは、まだ字を習いたてで、これもまた間違うのではにか、間違うのではないかと心の奥底の無意識で考えている用事が、ひらがなを裏から見るように綴る現象にも発生する。例えばひらがなの「は」を神の裏側からすかしてみたように(つまり鏡像印刷ふうに)描くなんて、成果企画より遥かに難しく思えるだろうが、必ずそう書く。

やろうとしてできるものではないのに、人間の潜在力というものは自分が思っているより遥かに大きいのである。ある部分がブロックされていると、逆に、他の機能は完全維持ゆうに働く。だから裏から見た「は」などの難しいものが簡単に書けるようになるというわけである。

これは、全てのブロックを外せば人は誰しも超能力的に優秀になれる、ということの逆側からの根拠にもなる。

 

そう。潜在意識は健在意識の1000倍強力だともいう。この部分が、なかなか「自分」で統御できないから色々と大変なのである。

20230406 意識を起動させるもの

意識は、生き物みたいな感じだ。それは自分でありながら、自分の意志や意向と無関係に動き回る。いや、意志や意向に沿って動く時もあれば、それとは関係なく自発的に?動いてしまうこともあると表現するべきか。

 

意識の起動についてケースを考えてみたい。わかりやすいのは、外部から何らかの指示が出たときだ。例えば試験問題が配られて、解け、と言われれば解き始めようという意識が働く。集中しようとか、問題を読もうとか、どうすれば溶けるか考えようとか、そういう意識が起動される。

 

では、意識の起動は全て外部からの刺激に基づくものだろうか。

 

お腹が減った、何か食べ物を探そうとか、作ろうとか、買いに行こうとか、お店に入ろうとかいう意識は、別に外部から刺激を受けて起動されるものでもない。お腹が空くというのは純粋に自分の肉体内部の話である。このように、本能や習慣に基づいて「あれをしよう」「これをやらなくちゃ」という意識になることはある。

 

本を読もう、読み始めようという意識が起動されることがある。これは一体なんだろう。課題図書が与えられて、これを読みなさいと外部から指示がある場合もあるが、そうではなくて本屋の店頭でたまたま見つけた本が面白そうなので買って読んでみる。そういうケースでは何が意識を起動しているのだろう。

 

そういう脳内思考回路が出来上がっているとすれば、それはどうしてそのようになったのか。

 

きっかけは偶々かも知れない。何気なくつけていたラジオで、ある小説を紹介していたとしよう。その内容は、とても興味深いものだった。これは、外界刺激への反応だ。そして、その本に興味を持って、買って読んでみた。とても良かった。作者の名前を覚えた。その作者の別の著作も読んでみた。期待通りだった。そしてその作者の作品を次々と手にして読破し、その作者に影響を与えたとされる別の作者や、その作者から影響を受けたとされる別の作者の作品まで読むようになった。これは、ありうることだと思う。

 

この時、次々に作品を渉猟する自分の意識はどのようなメカニズムで動いているのか。

 

栗本慎一郎の著作で頭に残っているのは、我々は快感を求めて行動するのだ、という指摘。一作目で快感が得られたなら、同様の快感を2作目も与えてくれるだろうと考えて同じ作者の作品を求める。麻薬みたいなもの?脳内からドーパミンが出て気持ち良くなる状態を求めるということらしい。とすれば、これも食欲性欲睡眠欲とほぼ同列(かどうかわからないが)の内的な欲求に従った意識の起動ということになりそうだ。

20230404 テレビは消せ

ワクチンを国民の大半に打たせる作戦はざっくりこう言うことだろう。人間は病気を恐怖する。すごい病気が出てきたというニュースでパニックにしろ。正常な論理的思考ができない状況に追い込め。その上で、救世主としてのワクチンを登場させろ。政府も医療業界も一丸となってワクチンを持ち上げろ。「他人に感染させない」というお題目を提供しワクチン接種が正義の行動だと思わせろ。

 

国民の9割がこれに乗せられた。このことを、脳内思考回路の考え方で読み解いてみたい。

 

我々の多くは、「報道を信じる」と言う脳内思考回路を持っているのだと思われる。これは非常に危険なことなのだが仕方がない。事実だろうから。新聞テレビラジオで流される情報は然るべき品質があり信頼に足るものだと考える思考回路を9割の国民が持っていた。それがこの悲劇の前提となるわけだ。

 

少し数字を追っかけたり、資料を探したりすれば、新型コロナの怖さはインフルエンザと大きく変わらない、と言う認識が得られるし、新しく登場したワクチンがどれほど危険なものであるかも理解される。でも、そのような行動を取らせる脳内思考回路を持っている人は少なかった。

 

この期に及んで今でも5回目、6回目のワクチン接種をしたり、子供や孫に打たせようとする大人がいるのだから、この「報道を信じる」脳内思考回路をものすごく強固に保有している人がいるのだと認めざるを得ない。

 

これは暗黒の中世の話ではない。21世紀の知識社会で起きていることだ。だから無知のなせる技とは言えない。

 

打ってしまった大人たちと話をしていると、よくテレビを見ていることに驚く。テレビのニュースに基づいて自分の考えを述べることが多い。ニュースだけはやたらと見ているのだ。彼らは。

 

テレビは、それを見る人に一定の脳内思考回路を形成するように導く。そう言った効果は絶対にある。感染拡大の中で、医者だと名乗る人物がテレビ画面に登場し、繰り返しワクチン接種、マスク着用を勧めたら、予備知識が何もない視聴者は影響を受けるだろう。それを何ヶ月も続けるのだ。いつの間にか、感染しないためにはワクチンを打ってマスクすることが効果的なんだ。ワクチンとマスクは必須なんだ、と脳内思考回路が強固かつシンプルに形作られていく。そう言うことだったのではないか?

 

テレビが同じことしか言わなかったら消した方がいい。同じ事柄に対してさまざまな見解が聞けるように自分のチャネルを複数持っておくべきだ。そう言うことに気をつける脳内思考回路を作っておくべきだ。ではどうしたらそれができるだろう。