20250927 現代語訳を終えて

ライフハック儒学」では四書五経の現代語訳を進めていく。

第一弾が「大学章句」であった。

短くて、取りつきやすい。

だいたい1ヶ月半で全文の現代語訳を終えた。

次は「論語」である。別のブログを使う。

論語は来年3月末までに訳し、次年度は「孟子」と「中庸」を訳す。

つまり2年間で四書を訳し終える。

次の3年間で五経を訳す。5年計画である。

大学章句は、元々書経の一部であった「大学」を朱子が編纂したものである。

伊藤仁斎、熊沢蕃山などは朱子による編集を嫌い、オリジナルで読み解いている。

私もオリジナルを一瞥したが、まあ大きな違いはない。だから大学章句でよしとした。

エッセンスは三綱領と八条目である。これがオリジナルにもあるのだ。

三綱領は、読んだままであり、この通りだとしよう。

私が興味を掻き立てられるのは八条目、特に格物致知である。

この部分は極めて重要で、宇宙秩序と人倫を結びつける要の位置付けにある。

人は倫理で悩む。いつの時代でも、悪は栄えなかったといえるだろうか。

だから、天意に沿った生き方をすれば国が繁栄するなどと言われても、よほどのお人好しでない限り、まともには聞かない。

でも儒学はそういうのである。真っ当に生きよ。仁を大切にせよ。そうでなければ必ずや滅びん。見よ諸国の盛衰を。賢帝あれば栄え、悪帝により衰退しているではないか、と。

確かにそうかもしれない。そうであれば、そこにはメカニズムがあるはずである。

理屈にうるさい現代人の一人である私は、天意とは何か。ただ強いもの、遠慮しない者が栄えるというだけではないのか。徳を持つものこそ繁栄する道理が知りたい。そう思うのである。

大学における解答が、それこそ格物致知なのだ。

意味は推し量るしかないが、格物とは観察しきること。致知とは真理を得ることだろうから、予断なく偏見なく真っ直ぐに事象を見なさい、それによって真理が見えてくるぞと言っているのだと思う。

格物致知の段階をクリアすると、意が誠になる。そして心が正になる、家族が和合する、世の中が収まる、と続く。正しく観察することが全ての出発点だというのが「大学」である。

一方で、それは地上世界の小さな話でもある。

私が知りたいのは、造物主の意向に適った生き方とはどのようなものか、それを知ることはできるのか、その通りに生きるとはどのようにすることなのか、などである。

そこに至る道もまた格物致知から始まるのではないか、という仮説はありうると思う。

世の中や、宇宙に起きる事象をよーく観察するのだ。

そこに天意を見出す瞬間が必ずやあるだろう、と私は予感する。

いや、世の中で起きていることは全て天意なのだから、私の観察不足で知(真理)に至ってないだけに違いない。

 

よく観察して真理を掴め。それに向き合って誠実に生きよ。結果して己の生き方は正しくなり、家は和合し、国は治まり、世界は平和で繁栄する。

 

これが八条目である。素晴らしいではないか。その出発点が「よく観察して真理を掴め」なのである。世に巣食う邪悪をきっちり見抜いて正しい行動をとらないといけないし、そのような国民が一定数に達したら確かに世の不正は衰退していくだろう。他人を思いやり、他人から慕われ、他人と共に生きることができる人たちが、中心になった世界への転換も夢物語ではないかもしれないのだ。孔子は、そして孟子朱子王陽明や熊沢蕃山は、そんな理想に生きたのだろう。

 

以上が、大学章句を現代語訳した直後の私の感想である。

 

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