20240423 渋谷はつまらなくなった

タイトルは、私が考えたというよりは、東洋経済オンラインにそういう趣旨の記事が出ていて、確かにそうだと思ったので掲げました。まずは直感ありきですね。ホントにつまらない街になりました。ここ10年です。つまり、再開発がダメなんですね。ダメということは明らかなんだけれども、少し具体的にその理由を整理してみたいと思います。順不同です。渋谷駅周辺50mくらいの話です。

 

①暗くなりました。空が見えなくなりました。高層ビルを集中して建て過ぎでしょう。②鉄道の乗り換えが分かりにくくなりました。おまけに移動路が狭い。ストレスが溜まる一方です。③どのビルに入っても似たようなお店ばかりで、ビルとしての個性が全く感じられません。④飲食点の数は増えたけれども店内は詰め詰めのぎっしりで鶏小屋で餌を食べているような気分になります。しかも通路との間に間仕切りがないので、歩く人から丸見えだし、埃が入ってきそうな不潔な雰囲気の中で食事しなければなりません。⑤ひと休みする場所がない。全然ない。お金を払ってお店に入るしかない。で、お店は狭くてギュウギュウだから休まらない。⑥矢鱈にピカピカで落ち着かない。

 

いや違う。以上は心の底からの文句ですが、文句を言いたくて書き始めたわけじゃなくて、つまらなくなったって言いたかったんだ。以前の渋谷の面白さを全部消してくれたなという怒りというか落胆というか。

 

例えば東急本店。いつもガラガラで落ち着いていた。東急カードを持っていると、無料で一休みできる場所があった(飲み物付き)。なぜ成り立っているんですかと聞いたら、松濤にはお金持ちがたくさん住んでいて、画廊で100万円とかの絵をどんどん買ってくれるから坪当たりの売上は結構大きいんですよと教えてくれた店員さんがいた。あっさり解体されてしまった。

 

例えば天風食堂。ガード下で美味しいトンカツ定食を出してくれていた。東急文化会館。映画館も良かったけど三省堂プラネタリウム、ジャーマンベーカリー、立田野、フランセ、永坂更科。。。例えば東急プラザ(旧)。紀伊国屋書店、ロゴスキー、地下の食料品売り場。一生忘れない。これが渋谷、って感じだった。素晴らしいビル。あっさり取り壊された。

 

なぜ、古い良いものを残そうとしないのか。企業の論理としてはわかる。建て替えて床面積を増やして売上増を図ろう。でもそれだけじゃないのかな。他に、こういうことがやりたい!ってのがあれば、それは利用者に伝わってくるはずだけど、全くないものな。資本の論理が街をダメにする典型例だと思う。東急でしょ。何がやりたかったんだろう。増収以外に。文化の発信?ならば東急文化会館や東急プラザや東急本店以上の文化資産を作りましたって言えるんでしょうか。渋谷の歴史文化の破壊がやりたかったんです、と言われれば少し納得。

 

東急だけがダメなわけじゃない。ヒルズも全部ダメ。森ビルの場合は、こんなことがやりたい!っていうのは伝わってくるけど、それ自体の中身がダメという。要するに、現代社会でちょっと収入が多い人たちにおしゃれでかっこいい憩いの場と働く場を大量に提供しますぜ、っていうところが滑り過ぎ。軽いんだよね。こうでしょ?って提案してくる内容が軽い。広告代理店のノリ。あまり時間をかけて物を考えたことのない人が、現代先進的な文化ってこう言うもんだろうとイメージを描くとこうなりますよねっていう典型例。深い知性がない。

 

二子玉川に住む知人が、いいものがどんどんなくなってつまらない街になったと嘆いていたけど、これも同じ。思うに1980年代以降の再開発は全部ダメ。

 

この50年間に活動した建築家や都市計画家がダメなんだと思う。自然発生的に成長した都市は、乱雑でひどい場合もあるけど、綺麗に整序すれば良くなるかといえば絶対にそんなことはない。統制する、整序する、管理するという発想で設計された建物なり都市なりは息苦しい。美しいとか便利だと言う前に、息苦しくなる。このユーザーの気持ちがわかってない。

 

面白いかつまらないかといえば、息苦しい建築なり都市なりは必ずつまらない。それは、管理されてる、統制されているということを、そこにいる人が直感的に感じ取るからだ。人間の感覚を軽視してはいけない。四六時中、いいように操作されて面白いと思えるとしたらそれは変わった人だと自分は思います。宮下パークの路面店は、ピカピカのビルの中に模造品の昭和の店舗を作り込んでいるフェイクです。書き割りと言ってもいい。これですよ。この雰囲気が好きなんでしょ。ほらよってな感じ。これで楽しめと。安い企画で集客しようと思うなよ。こんなのしかないから(宮下パークはららぽーとと書いていた人もいる)、息苦しい上に落胆させられてどうしようもない。

 

もう渋谷は行かないだろうな。渋谷でなければ味わえないものは無くなったし、いけば息苦しいしフェイクで落胆するし。そう思っている人が多くいるから、東洋経済も記事にしたのだろうと思う。